2017年3月13日月曜日

2017.03.11 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「サンセット大通り」

宇都宮市民プラザ 多目的ホール

● ぼくは宇都宮市民ではないんだが。宇都宮市民プラザに行くのも,これが初めてだ。二荒山神社の登り口の東側に「うつのみや表参道スクエア」なるビルがあって,その5・6階が宇都宮市民プラザになっている。
 どういう施設かは知らない。ただ,“ウィークエンドシネマ”と題して,往年の映画を上映していることを最近知った。

● 入場できるのは宇都宮市民に限るということでもないようなので,今回,初めてお邪魔させてもらった。
 このビル,わりと暗ったい。採光がよくないのか,照明が足りないのか。
 と思ったら,今日は土曜日。社員が出勤していない事業所もあったのだった。

● この上映会は(昔の言葉で言うと)老人福祉施策に属するものだ。厚生労働省の予算ではないだろうから,福祉施策には分類されていないだろうけど,実質は老人に無料で娯楽を提供する事業になっている。
 つまり,お客さんの多くは後期高齢者。そうじゃない人はあまりいない。ぼくなんか,ここでは若い方に属する。

● これはね,どこでもそうだし,何でもそうだ。テレビだって若者は見なくなっている。視聴率を取ろうとすれば,老人に合わせるしかない。
 文庫本が生まれたのは,お金のない若者が本を読めるようにしようとしたからだろう。その文庫本も購入層は40代がメインだという。いずれ50代になると言われている。
 週刊誌もそうだ。読者層はどんどん高齢化しているに違いない。今どきの若者が写真週刊誌なんか読むと思うかね。
 クラシック音楽のコンサートもそうだ。客席には爺と婆しかいないと言って過言ではない。

● まして往年の映画となれば,そもそも若者の世界にはないものだろう。見れば面白いと思うかもしれないけれど,年寄りが集まっているところに若者が寄りつくはずがない。
 少子化もある。その勢いは半端ではない。若者はもはやいないのだと思った方がいいのかもしれない。若者はいないのだから,ものみなすべて年寄りにフォーカスしていくのだ。

● 「サンセット大通り」は1950年のアメリカ映画。監督はビリー・ワイルダー。
 往年の大女優で今は忘れられた存在になっているノーマ・デズモンドをグロリア・スワンソンが演じる。ノーマの若い燕のジョー・ギリス(ウィリアム・ホールデン),ノーマの召使いであるマックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)の3人がドラマを織りなしていく。

● 最も影のある存在がマックス。終盤近くになって,若いときのノーマが出演した映画の監督で,ノーマをスターダムに押しあげ,かつノーマの最初の夫であったと語る。つまり,ノーマの異様性が一段と強調される。
 マックスはノーマがすでに狂気の世界にいることをわかったうえで,輝いていた過去の彼女に忠誠を尽くそうと思い決めているのだろうか。

● そのノーマを演じるスワンソンの演技は見事。鬼気迫るとはこういうときに使う言葉だろう。見ておいて損はない。
 こういう映画は,若いときに見てももちろんいいんだろうけど,年を重ねてから見るとしみじみと哀感を覚えるかも。

● 20歳前後の頃,“名画”と呼ばれるものを次々に見続けたことがあるんだけど(3本立てのいわゆる名画座で),「サンセット大通り」はたぶん見ていない。
 仮に見たとしても,おどろおどろしさ以上のものを感じることはなかったろう。当時のぼくは,まるっきりネンネだったから。